近代化産業遺産群
初代片倉兼太郎は製糸工場で働く低年齢の従業員への教育が必要と感じ、大正6年ここに私立片倉尋常小学校を開校した。後にツツジが植えられ、現在では、中部日本一のツツジの名所として知られている。5月にはつつじ祭りが開催されている。
明治43年に建築された大製糸会社片倉組の事務所。初代、二代片倉兼太郎の活躍の拠点となる。現在は片倉工業株式会社の印刷部を継承した中央印刷株式会社の事務所として使用されている。国登録有形文化財。
一山カ林製糸所の初代林国蔵の住宅。主屋と離れの座敷、茶屋、洋館に分かれ、主屋の南側には繭倉庫の形式をとどめる土蔵が並ぶ。「幻の金唐革紙」と呼ばれる壁紙が貼り巡らされている和室は一見の価値あり。国指定重要文化財。
大正6年、昭和天皇の立太子の記念に造られる。製糸工場の従業員の慰安の地として利用された。製糸業発展に大きく貢献した第十九銀行頭取黒澤鷹次郎の銅像がある。
大正3年に市内塚間川の西方一帯の製糸工場への給水のために建設された。天竜川にポンプを設置し、導管により水を揚げた。現在は、丘の上に金属製タンクの台座としていた三重円筒型(壁の厚さ約61㎝)の巨大なレンガ積が残されている。
明治12年に創業した山一林組の事務所。建築は大正10年。山一林組は昭和5年に当地方第4位の製糸会社に発展する。製糸全盛期をしのぶ数少ない建物。戦前の日本における製糸労働者最大の争議である「山一争議」の舞台になったことで有名。1階には、岡谷絹の機織りの見学・体験が出来る岡谷絹工房がある。各種絹製品も販売している。国登録有形文化財。
岡谷に残る数少ない繭倉庫。建築年代は明治期と推定される。旧サスダイ中村甫助製糸所の繭倉庫であったが、現在は、株式会社金上が譲り受け、倉庫として大切に使用されている。
岡谷の製糸業関係者が、蚕糸業の発展を祈念するために昭和9年に照光寺に建立した供養塔。世界的不況の時代に、製糸業関係者18人が発起人となり、村民や工女さんなど数万人から寄付を集め、蚕の霊を慰めた。木造馬鳴菩薩坐像を本尊とし、毎年4月29日には蚕霊供養塔例大祭が行われる。市指定文化財。
日本製糸業近代化を担った歴史と精神を伝える製糸経営資料、写真資料や岡谷市鳥瞰図など30,000点を超える資料を所蔵している。また、国内に唯一現存するフランス式繰糸機や明治初期に岡谷の武居代次郎が開発した諏訪式繰糸機など貴重な機械類を保存・展示している。
昭和22年、農林省蚕糸試験場岡谷製糸試験所として設置され、日本における製糸技術研究の重要な拠点となった。自動繰糸機を中心に、繭乾燥から製糸まで一連の生産機械が残され、多条繰糸機等が認定を受けている。多条繰糸機は現在も製糸工場内で稼働している。
岡谷の製糸業の最盛期に、飲料水や工業用水の需要が増え、また衛生面からも上下水道建設の要望が高まったことから造られた集水溝。昭和63年まで利用されていた。ものづくりのまち岡谷の人々の生活を支えた集水溝として保存されている。国登録有形文化財。
製糸家の尾澤福太郎が昭和11年に市制施行を記念して建築・寄贈した庁舎。昭和62年まで市役所として使用され、平成27年3月までは消防庁舎として使用されていた。国登録有形文化財。
明治29年に創業した日本に残る数少ない製糸機械メーカー。特に昭和5年から販売した「増澤式多条繰糸機」は日本一のシェアを誇った。こうした製糸機械を生み出した切削用機械「横フライス盤」が認定を受けている。
創業は明治7年、座繰り製糸にはじまり、大正~昭和の全盛期と戦後の復興期に中規模の製糸工場として発展した。同敷地内には昭和2年に建築された事務所を始め、工場棟・再繰工場棟等一連の工場体系が残されている。
岡谷蚕糸博物館内で操業している株式会社宮坂製糸所で使用している繭倉庫。宮坂製糸所は昭和3年に創業し、明治から昭和にかけて使われていた諏訪式繰糸機・上州式繰糸機・自動繰糸機などで操業を続けている。